March 2012
一人暮らしを始めた22歳から今まで、調理器具はなるべく少なく、シンプルに…と思って台所仕事をしてきたのだけれど、バネ指発症以降、ちょっとそのスタンスも揺らぎ気味。
右手で器を持ったつもりが、とり落とす、ということが数回あり、違和感のあとに痛みが出てバネ指になった。
バネ指は一回やったら終わりということでも、左右どちらかの手ということでもないと手の外科で言われた、ということは、左手もかなり疲弊しているので不安。
半年くらい前から、10年近く使ってるフィスラーのフライパンが、ともかく重く感じはじめているので、ダメージが出るとしたら左手だろうと思っていたくらいだったので、このところ戦々恐々。
とはいえ、フィスラーほどシンプルで安心素材のフライパンというのは、なかなか見つからない。
軽くて安心素材のものが見つかるまでは、フライパンを持ちあげないで調理をしていくとして…
他の部分を、なるべく手に負担をかけないものを見つけなきゃと思いはじめていたらば…
ご近所サミットストアーのワゴンで、話題の川越シェフ開発グッズが、セールになっていた。
こういう商品は、シェフの名前のブランド料にもお金を払うんだよなぁ、と思ったのだけれど、セールだし、まいいかと買ってみました。
ピンクの丸いのは、シリコン素材の野菜洗い。
いままでいらなくなったスポンジでガシガシ洗っていたけれど、例えばシチューやカレーを作る時は、ジャガイモ6個人参3本とか洗って切ってするので、かなり疲れていたのですが。
このシリコン野菜洗いは。裏についている輪に中指を通して、野菜の表面を磨くようにするだけで、あっというまに泥が落ちる。
びっくり。もちろん力を入れなくていいので、手はとっても楽。
道具を加えることで、手への負荷を減らしていく、ということに目覚めそうであります。
振り向けば、鍋は全部7層のステンレスで、高機能ではあるけれど、それなりにずっしり重いのね。
男の子二人だったので、大きめな鍋だから、中身入ったら、半端ない重さ。
調理用具のトングも、右手親指への負担が大きいしね。このあたりも課題だわ。
バネ指から、いろんなことに戸惑いを覚える春、ってことかしら?
83歳と65歳、目線の先には「織井茂子さんご本人映像」の「黒ユリの歌」が流れています。
なんだか古い時代のことで、話しが弾んでいるらしい。
歌に関していえば、高司と私の10歳差よりも、高司と母の18歳差の方が、ずっと小さいみたい。戦前戦後ヒット曲のスパンがながかったからでしょうね。とても話が盛り上がるよこで、ハニワになる私。
プール帰りの母と一緒に荻窪の病院まで、午後出かけたものの、「帰りはお散歩♪」という気むんむんだった母ですが、さすがに一時間もプール歩いたあとに、徘徊は疲れるだろうということで、カラオケに行くことにしたのです。
母はちょって抵抗していましたが、人前で歌うとか、話すことが苦手というのも、少し克服してほしいしね。
マイクは持たないでいいから口ずさんでなね〜と婿さんと娘で、かなり古めのうたをチョイス。
わかったことは…母は歌謡曲系よりも、ロシア民謡系が好きだってこと。
会社の昼休みに屋上で、同僚のみんなと「ともしび」とか「カチューシャ」を歌っていたんだって。
ロシアに戦争に負けて、まだ10年もたっていない頃に、ロシア民謡をみんなで歌っていたって。日本人って強かったんだなって思います。
そんな母も、孫の進路にやきもきしていたので、ほっと一息の時間となりました。
テレビ朝日の深夜番組「お願いランキング」は好きで良く見る番組です。低予算だけど、知恵を使ってる感じが好きだし、情報も押しつけがましくないし。「ちょい足し」食材とか、ちょっと前までの変な校則、とか日々面白いのですが、毎日欠かさずやっているコーナー「今日の答え合わせうらない」もけっこう好き。
3月13日蟹座の答え合わせうらないは一位で、「停滞していた物事が進んだ日」とありました。
たしかに…今日は4つのことが併行にサクサクと進んだように思います。家で籠って、かなり頑張った私。
何故か無性にイチゴが食べたくなって、夜中のお散歩で買いに行ったらば…佐賀県産の「さがほのか」という品種に何故か巨大イチゴを抱えたリカちゃんがっ!しかも「いつも”ほのか”に恋している」というコピーつき。
ちょっとびっくりですが、ピカチ〇ウやし〇ちゃんに言われるよりも、嬉しいかも。
久しぶりのイチゴ2粒、美味しかったです♪
昨日、銀座の街路樹にはメジロが飛び、スズメも群れて遊んでいました。
大人の社交場?のJRAのWING銀座の前の街路樹、というところが何ともオシャレですね〜。
オシャレといえば、「日本中央競馬会」がJRAに、「銀座場外場外勝馬投票所」がWING銀座にと、オシャレな呼び名に変わっていることに、いまだに戸惑う私。
でもま、大好きな鳥と、大好きな競馬と、同じ画面にはいるということで記念撮影。葉っぱみたいに見えるのがスズメです。
「銀座の雀、って歌、なかったっけ?」
「森繁久彌のね…」
そのあと銀座で一人懐メロ斉唱をしていたのは、私ではなくて高司です。
ちょっと時代が違うのよね。
ちなみに「銀座の雀」は昭和30年の歌、なのですね。私の生まれる前だわ。
スズメの姿が少なくなりつつあることが懸念されていますが、ここはいっぱい居たなぁ。家のあたりで見るよりも多かったことがとても意外。
私が鳥を観はじめた30年前、街に自然がなくなると、残るのはスズメとドバトだけと聞いたことがあり、ずっと「ホントかな?」と思い続けていたのですが、銀座のスズメの元気っぷりをみると「ホントかも」と信じてみる気になりました。
浅草を後にして、銀座松屋「相棒2」展に。先週から開催されていたのですが、来る間がなく、今日の17時までということで、ギリギリセーフでした。
一人一台電話状のものを貸し出されて、そこからイタミンこと伊丹刑事の声が聞こえてきて、謎解きをしながら場内を進んでいくのですが。ま、なんていうか、名探偵コ〇ンというか、レ〇トン教授というか、ま、そんな感じの謎解きで、底の部分は思い切りがっかりでした。ま、右京さんが絡んでのことじゃないからしょうがないけど。
ただ、特命係の部屋の再現とか、衣装と、撮影に使った小道具の数々とか、そこはかなり血が騒ぎました。
とはいえ、「ほらこのバラの花はほらあれ」「あ、あれか」という、得意の「ほら、あれ、それ」で高司とは話が進むのですが、相棒命の方々は「シーズン〇の第何話のあのシーン」まで言えるのだろうな、きっと
謎解きが済んで、右京さんの声で誘われるのが「花の里」コーナー。
ここは写真撮影OKなので、思わず右京さんの席に座ってみました♪
このあとは久しぶりの丸の内さえずり館へ。懐かしい方々と笑顔で会えるのは幸せなことですね!
今日はおかげさまで実りある一日になりました。
一人一台電話状のものを貸し出されて、そこからイタミンこと伊丹刑事の声が聞こえてきて、謎解きをしながら場内を進んでいくのですが。ま、なんていうか、名探偵コ〇ンというか、レ〇トン教授というか、ま、そんな感じの謎解きで、底の部分は思い切りがっかりでした。ま、右京さんが絡んでのことじゃないからしょうがないけど。
ただ、特命係の部屋の再現とか、衣装と、撮影に使った小道具の数々とか、そこはかなり血が騒ぎました。
とはいえ、「ほらこのバラの花はほらあれ」「あ、あれか」という、得意の「ほら、あれ、それ」で高司とは話が進むのですが、相棒命の方々は「シーズン〇の第何話のあのシーン」まで言えるのだろうな、きっと
謎解きが済んで、右京さんの声で誘われるのが「花の里」コーナー。
ここは写真撮影OKなので、思わず右京さんの席に座ってみました♪
このあとは久しぶりの丸の内さえずり館へ。懐かしい方々と笑顔で会えるのは幸せなことですね!
今日はおかげさまで実りある一日になりました。
今日は、浅草ロータリークラブへ高司が講演に伺いました。
よっし〜こと吉成さんのご紹介で親しくさせて頂いている、浅草っ子のKさんが、浅草ロータリークラブの会員。そして、定期会合ごとに開催される「卓話」のこの時期のプログラム担当ということで、半年前からいろいろと調整をしてくださっていたのです。
講演のタイトルは「野鳥図鑑作成の現場」。イラスト図鑑の意味や、図鑑の役割などのお話しを30分、浅草ビューホテルの会場でさせて頂きました。
とても和やかな雰囲気で、ロータリークラブの社会的意義なども学ぶことができ、有難い体験をさせて頂きました。
Kさんはじめ、お話しを聴いて下さったみなさま、ありがとうございました。
前日から、かなり緊張していた高司が、みなさまにお暇して、外へ出たらば、浅草寺と東京スカイツリ―が「お疲れ様」と迎えてくれた瞬間です。
ちょっとヨレヨレですね〜
東葉高速線村上駅をスタートに約2時間散策し、昼食を挟んで、Kさんがあらかじめ押さえてくださっていた会場で、鳥あわせのあとは「体験"タマゴ式"鳥絵塾」の開講です。
皆さん、自然をお好き、という方々ばかりで、和気あいあいとした雰囲気の中で、個性豊かなカワセミがいっぱい生まれました。
カワセミは描けると嬉しい鳥なのですが、みなさんの笑顔をみると改めて、カワセミの力を感じます。
3.11から一年がたち、こういう時間を、同じ趣味を持つ方たちと共有できることが増えつつあり、幸せに思います。
人も鳥も、強く、元気に生きていける世の中であって欲しいものです。
お招きいただいた佐倉自然同好会のみなさま、企画から窓口までお世話になったKさま奥さま、本当にありがとうございました。またみなさまと、今日のような穏やかな時間をすごせたらと思います。
行きも帰りも東葉高速線乗り入れ東西線直通電車で、1時間半弱、ちょっとした旅でしたが、良く寝られました。
それにしても…東葉高速線ってすごい価格設定なのね。千葉のモノレールを思い出しました…
チョウゲンボウがカラスに追い立てられつつ、懸命に電信柱の天辺に居続け、さらにカラスがまた追ってを繰り返しているところに、モズがきて、両方ともに追われるという、とんでもな展開。
力関係はモズ<ハシブトガラス<チョウゲンボウであってほしいのに、現実にはモズが頂点という不思議な光景が繰り広げられていた足元では、可愛いツクシがこんにちわ
そのツクシを一生懸命撮っておられる長身の紳士がKさんです。楽しむ会においで頂いている I さんのご主人のお友達、という関係でご縁ができ、一昨年の小笠原母島ツアーにもご一緒しました。
そうです、あの熱帯の密林で、Sちゃまの迷惑なだけだった巨大な三脚を、一緒に持ってくれた、ある意味戦友でもあります。
そのKさんが所属する佐倉自然同好会で、Kさんが中心となって今回の観察会を企画してくださっての今日となりました。Kさんが、新川を中心としたフィールドのお話しをいつもして下さるので、伺うのがとっても楽しみでした。
わずか2時間ほどの間にヒバリの声も含めて18種の鳥に会えて、幸せでした。
今日は善福寺公園の観察会でした。先月25日に50名規模で行われる予定が大雨で中止、となったのですが、参加をご希望される方が多かったということで、今日、改めて開かれることになったのです。
主催はNPOすぎなみ環境ネットワークで、私たちがいつも楽しむ会の会場でお世話になっている、あんさんぶる荻窪すぎなみ環境情報館の管理運営もなさっている団体です。
昨夜も楽しむ会で伺った時に、お天気のことを話し、心配していたのですが、夜の激しい雨が、朝にはまだ残っておりしまいました。でも、決行しましょうと言うことで、担当の方々が手分けして出席予定だった30名さまに電話で出欠を確認してくださり、5名がご参加くださいました。
上池を一周して、新池に。まだ名残のキンクロハジロもおり、微動だにしないゴイサギやカワウなども思いがけない人気者に。バンやジョウビタキも葦の間を行き来して歓迎してくれました。
寒さで、目玉も凍りそうでしたが、鳥もそこそこ出てくれて、嬉しかったです。
参加者の皆様も、鳥との距離が近く、楽しんでみていただけた様子でほっとしました。
今日の開催のためにご尽力くださったみなさまへ、御恩返しができたでしょうか…
本日の楽しむ会は「タゲリのいる景色を描こう」でした。
今週と来週に二回に分けて、一枚の絵にタゲリを色々描いてみようという企画です。
タゲリの正面顔というのは、なかなかチャーミングで、冠羽も魅力的。
ふわふわ飛ぶところも可愛いですね。
タゲリファンの会員の方も多くいらして、力作タゲリがいっぱい生まれました。
大雨の中、ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。
楽しむ会では、昨年の大震災の直前の土曜日に、浦和方面にタゲリをみに出かけていました。
数はそれほど多くは見られませんでしたが、とてものどかな、ゆったりと豊かな時間を過ごすことができました。
幸せな気持ちで、鳥をみられる喜びをかみしめたものです。
そのあと、大震災と津波がおき、私にとってあのタゲリのいる光景は、ある意味、人生のアルバムの大事な1ページとなりました。何の心配も不安もなく、鳥を見られた、自分にとっての最後の遠出でした。
あのあと、いろいろなところにお仕事で行かせて頂いていますが、常に、緊張感が伴っています。
出かけるときには「帰って来られますように」と心の中で祈り、10km以上離れたところに行く時には、懐中電灯や電池式携帯充電器、薬、洗面道具、軍手などの非常用品を詰め込んだポーチを持つようになりました。600gほどの重さになりますが、ないと心が落ち着きません。
鳥を描く、鳥を観る、というささやかだけれど実りある時間が、ずっと続くことを祈念せずにはいられません。
卒業が見えてきて、このところの次男は大忙し。
中高時代のお友達と会ったり、大学のお友達と別れを惜しんだり、奉職した後の希望を語ったり。まさに青春まっただ中。
昨夜は、以前、助勤で何回も伺った埼玉県の神社で、とてもお世話になり、いろいろ教えて頂いた先輩神官のTさんから、お声がかかっての会でした。次男ともう一人、卒業が決まった4年生の、お祝いの会を開いてくださったのです。
それはそれは嬉しそうに、深夜に戻ってきた彼の手に握られていたのが、このキュートな花束です。わざわざTさんが用意しておいてくださったとか。
以前一回だけお会いしたTさんは、学校でも教えていらっしゃるとかで、きびきびとした、お話もとても素敵な方でした。
次男はお人柄にとても惹かれているようで、お会いしていないときでもメールで教えを請うたり、近況報告をしていたのですね。
とても心温まる楽しい会を開いて頂いて、本当に次男は嬉しそうでした。
Tさんありがとうございました。そして、次男が歳を重ねたとき、Tさんのような大人になれるようこれからも見守って頂ければ有り難いです。
この花束は玄関に飾りました。ホントにきれい。
今日は、新宿まで額や画材の買い出しに行ったり、お教室が荻窪であったり、22時ちょうどに春の一箱古本市のエントリー作業があったりと、雨の中慌ただしかったのですが、この花束のパワーで乗り切ることができました。
中高時代のお友達と会ったり、大学のお友達と別れを惜しんだり、奉職した後の希望を語ったり。まさに青春まっただ中。
昨夜は、以前、助勤で何回も伺った埼玉県の神社で、とてもお世話になり、いろいろ教えて頂いた先輩神官のTさんから、お声がかかっての会でした。次男ともう一人、卒業が決まった4年生の、お祝いの会を開いてくださったのです。
それはそれは嬉しそうに、深夜に戻ってきた彼の手に握られていたのが、このキュートな花束です。わざわざTさんが用意しておいてくださったとか。
以前一回だけお会いしたTさんは、学校でも教えていらっしゃるとかで、きびきびとした、お話もとても素敵な方でした。
次男はお人柄にとても惹かれているようで、お会いしていないときでもメールで教えを請うたり、近況報告をしていたのですね。
とても心温まる楽しい会を開いて頂いて、本当に次男は嬉しそうでした。
Tさんありがとうございました。そして、次男が歳を重ねたとき、Tさんのような大人になれるようこれからも見守って頂ければ有り難いです。
この花束は玄関に飾りました。ホントにきれい。
今日は、新宿まで額や画材の買い出しに行ったり、お教室が荻窪であったり、22時ちょうどに春の一箱古本市のエントリー作業があったりと、雨の中慌ただしかったのですが、この花束のパワーで乗り切ることができました。
with from R
今日は一日、母と一緒の日と決めて、朝から大車輪。
吉祥寺の梶谷先生、東京衛生病院の定期検診、町屋・東京御廟に眠るの父の墓参、と3つのことを夕方のラッシュが始まるまでに済ませるのがミッションです。
ミッションって別に誰かに指示されてるわけじゃないけど、義務、とか、お務め、とかいうより気持ちが軽くならない?
病院二軒は問題なく通過。
町屋へは昨秋以来、忙しかったり母が不調だったりでお参りしていなかったののごめんね、と、父の7人いた姉兄で最後に残っていた7番目の姉の逝去を報告しに。今月はじめに亡くなったということを従兄弟経由で聞いたのです。つまり平田8姉弟は全員この世にはいなくなってしまったということで、考えてみれば、戦争で死んだ伯父(6番目)と、一酸化炭素中毒が原因で死んだ伯母(3番目)以外は、みんなすっごく長命だったのね。最高は暮れに亡くなった伯母(5番目)は101歳だったし、末弟の父だって88歳の天寿を全うしたんだし。
以前、長男の低身長の治療で小児科内分泌に通っていた時、両親の背の高さを足して2で割ったものが、その子がもともと持っている、伸びる可能性のある身長、とお医者さまから聞いて、ほぉ、と思ったのですが。
その説で行くと、私は、父の88歳、母の現在進行形83歳の合間をとって85.5歳の寿命を持っている、という事になるのかな?
あと30年かぁ。元気で無事に過ごすにはあまりに長いぞぉ。
なんてことを考えつつ、歩いていると、クチナシの新芽が。
写真では黄緑だけれど、ほとんど黄色に近い色。とても鮮やかなことにびっくり。
クチナシって花も美しいし、香りも良いし、実も役に立つし…一年の間にきっちりとがんばってるなぁって、何だか嬉しくなりました。
さて、私のがんばりは?足りているかな?
蔵ずしに入れなかったとはいえ、お寿司のおなかになっているところで、他のメニューに切り替えるもの難しく、パンや冷凍うどんというけっこうなカサのサミットの買い物袋をぶら下げながら、西荻窪へ一直線、きっちり1.5km歩いて天下寿司へ。もちろん右親指は負荷かからないように左手で。
久しぶりにあるいたら、住宅街でもずいぶんと様変わりしていてびっくりでした。
西荻窪駅北口の天下寿司。私の中での三強中の二強「ハワイ巻き」と「数の子」。
そしてこれに「玉」ことタマゴの端っこ、というのが加わって、ささやかな幸せになるのです
お願いして目の前で握ってくれる回転ずしって、すごくない?
高司は、漬けマグロとか赤身のマグロ系が好きなんだけれど、今夜は背中から熱心にかけられる「茶碗蒸しいかがですか〜?」というお兄さんの声に、つい「一つ!」ってリクエストしてました。
のんびりできたのは今日まで。さ、明日から一週間は、毎日お出かけで、行ったり来たりです。
がんばるぞっと!
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