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キヨさんがついに逝きました。10時25分に大きな息を一つして、静かに苦しまず旅立ちました。
先生がすぐ来てくださって、ご家族の時計で…と高司の時計の針がさしていた10時29分が臨終の時間になりました。
驚異のがんばり、生きること、老いること、いろんなことを教えてくれました。99歳と1ヶ月と1日。関東大震災があって、美容師としてバリバリ働いていた時間があって、満州事変があって、第二次世界大戦を潜り抜けて、3人の子を育て、店を影から支え、地域に根付き、明治・大正・昭和・平成を生き抜いた人生でした。

あまり良い状態ではないと義姉や義弟に連絡を入れ、改めてグループホーム長のKさんにも連絡を入れたところ、「仕事やめて、いま行きますから…」ということでお待ちしてキヨさんに逢ってもらって、一緒に車で帰る途中、病院から戻るように連絡が入りました。
もしKさんが会いに来て下さらなかったら、早めに帰ってて家に着いていた頃です。ホームでも、大塚病院でも、そしてこの愛誠病院の入院の時も、本当にKさんにはお世話になりました。この方が居なかったら、キヨさんも私たち家族も、いろんな苦しみを背負っていたかもしれません…

ともかく「そのとき」に高司と私とそばに居ることができてほっとしています。

病院の空はちょっと曇りがち。この空のどこかで、元気ハツラツとなったキヨさんは、夫や、早く亡くした長男や、美容のお師匠さんだったマリー・ルイーズ先生や、長谷川一夫さんや…懐かしい人たちに逢えているのでしょうね。


あなたに逢えていろいろ体験させてもらったね。
ありがとう、おかあさん。
おかあさんの描いていた理想の嫁とは、とんでもなくかけ離れてた、宇宙人のような嫁でごめんね。