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グレープフルーツい見えますが、もっと大きいの。
これはブンタンです。文旦。宮崎産です。
鹿児島で生まれた父にお供えするので、ホントは鹿児島産が欲しい母ですが、なかなか東京で鹿児島のものには出会わないらしい。

私が小学生の頃、故郷と没交渉だった父が、少しずつ兄姉と連絡をとるようになって、鹿児島からチッキで荷物が送られてくるようになりました。
チッキって確か国鉄が駅まで運んでくれる荷物、のことだっけ?

今でこそ、宅配便で、鹿児島―東京は翌々日配達と便利になりましたが、今から40年以上も前は、何日かかったのでしょう。

一番最初に鹿児島から届いた荷物は、ちょっとくたびれた段ボール。
当時近所に住んでいた伯母:父の5番目の姉の解説付きで、披露された箱の中身は、小学生だった私の理解を遥かに超えるものでした。

新聞にくるまれて出て来た木の塊を伯母は「雄節」「雌節」と呼んでいて、何のことやらと思っていたら、鰹節でした。鹿児島の名産ですね。今の生節ではなく本枯節だったので、木の塊に見えたのです。

その次に出て来たのは、大きな黄色いボールでした。
これが文旦だったのです。父も伯母も「ボンタン」と発音していました。
私の知っているミカンは何だったのか?と思うような迫力。まだ小さかった弟の頭より大きかったのでびっくり。ともかく分厚い皮を一生懸命むくと、すごく奥の方から房が出てきたのでありました。

あ、あと、文旦漬けも入っていましたっけ。
分厚い皮を切って、ことこととお砂糖で煮つめたもの。グラッセ?
でも脳がしびれるほど甘くて、ちょっと勘弁でした。
あの時の衝撃からか、いまだにかんきつ類の皮を甘く似たのは苦手です。

今考えれば、伯母や伯父が末の弟である父に、故郷に思いをはせるようなものを、と心づくしのものを送ってくれたのでしょうが、遠く離れた姪っ子には、ただの枯れた木と黄色いボールにしか見えなかったのです。

ちなみに私は文旦の皮をむくのは、とっても得意です。申年だしね。