【発病から幼稚園】

私が喘息になったのは生後11カ月、肺炎で狛江の慈恵第3病院に入院した後のことだそうです。

もちろん本人に記憶はないのですが、寒くなっても、咳を一つしても、両親の心配そうな目がいつも私に向けられているのを、物心ついたときから敏感に感じてはいました。
咳を何回か続けてすると、親が気構えるというか、くるぞっていうか、そんな感じですね。

当時かかっていたお医者様は、武蔵野医院という町のお医者様で、母に背負われて何回、時間外にこの病院に通ったかわかりません。

診療時間内に行く時は、とても混んでいる病院だったのに、いつも割り込みで先生がみてくださいました。

今考えると怖いのですが、静脈注射の太いので発作止めをゆっくりと呼吸に合わせて打ってもらって、裏のベッドや待合室で安静にして、発作が治まるのを待ったものでした。

先生が
「りつこちゃん、ゆっくり打ってるから大丈夫だよ、こないだも、よその病院でこの注射を早く打って亡くなった人がいたけれど、先生は大丈夫だから」
というのを聞きながら『なんで、病気をよくする注射で人が死ぬんだろう?』と思ったものです。

おそらくかなり心臓に負担のかかる薬だったのですね。
そして先生はご自身でそれを口にすることで、気持ちを落ち着けていたのかもしれません。この先生に診て頂かなければいまの私はいなかったと思います。

幼稚園の入園式も行かれず、皆勤賞は夏休みまでの少ない登園日しかなかったほど、ほんとに良く発作がでていたせいか、私の幼稚園の記憶はとっても少ないのです。

でも、武蔵野医院は、壁や玄関、診察室の光景、匂いまでも、いまでもくっきりと思いだすほど。私の命を守ってくれた揺り籠のような場所でした。