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日本IDDMネットワーク創立20周年記念サイエンスフォーラム、終了して、栄生経由で名古屋に着いたのが18時過ぎ。
頭使いすぎて、帰りたいなぁって思って、新幹線の切符をガン見したら新幹線&ホテルのビジネスパックだったので、乗車券の変更は不可、乗り遅れた場合のみ自由席に乗車可、とあって、撃沈。
のぞみ56号が出発するまでの3時間、お買いものと夕食を楽しむことにしました。

まずは名鉄名古屋駅からJRの駅の上、高島屋の中にある東急ハンズに行きました。
気温30度で変質するというインシュリン注射の保冷方法で、先日お世話になった店員のYさんにご挨拶がてら、またさらに強力な保冷方法の相談に。
彼女、今回もいろいろと考えてくれて、保冷バッグごと凍らせるものをみつけてきてくれました。
心強い!

そしてやば豚で夕食を食べて、名古屋駅に戻ったのが8時。
もう高島屋も閉店の時間だったので、素直に、新幹線改札口から待合室に。
本を読みながら20時半にホームに。
ホームの待合室に入ったら、ホームが少し暗くなりました。
あれ?って思ったらホームに停まっている新幹線の電気が消えたのです。

あれ?ついでに家に電話してみたら
「新幹線泊まってるどころじゃないよ、地震、お母さん地震だよ!東京揺れたんだ」
と次男の切迫した声で、ちょっとビビりました。
「これで、もし会えなかったらあれだけど、お母さん元気でね」
とかいわれると、こちらも慌てますね。
聴けば小笠原母島が深度5とのこと。
小笠原でお世話になった、あの方も、この方も、被害がないといいけれど、と祈る気持ち。
母も動転しているようだったので、落ち着くように話をし。

それから延々、待合室の椅子で待ち続けること1時間以上。
やっと電気がつき、それでも発車はせず…というこう着状態でしたが、動きはじめたら続々入線してきて、めでたく新幹線に乗ることはできました。
12号車のちかくに多目的室があったので、東京についてからのことを考えると着物よりも洋服の方が…と思い、車掌さんがそばにいたので、お願いして、着物を着替えさせてもらいました。
さすがに朝7時過ぎから23時近くまで着ていると、しんどくなってきます。

かなり手早く着替えをしたのですが、私以上に早かった新幹線。
ぎりぎりその日のうちに東京につくかな?という思いを乗せて飛ばす飛ばす新幹線。
早いこと、ただ新横浜、品川、東京と終点が近づくにつれてゆっくりな走りになり、結局い時間10分以上遅れての到着となりました。

山手線が動いていなかったので、品川下車山手線で高田馬場、上石神井から徒歩で帰宅の案は消えて、東京から中央線各駅停車で、ゆっくりゆっくりと。
中央線は5分遅れとのことでしたが、とりあえずは走っているので一安心。
乗車の列では5番目だったのに、席にも座れたので、もう何とか。
神田、新宿で、ぎゅう詰めとなりながら、西荻窪駅に着いて、セブンイレブンでお金をくずして、タクシーを10台待ちして帰宅できたのが1時も大きく過ぎたころ。

新幹線のことだけ考えれば、なんていうか広島から乗って帰ってきました、というレベルです。

いつも荷物が多目な私なのですが、今回こそ、洋服上下持っていって良かったと思ったことはありませんでした。
備えよ常に、ですね。

ながながと書きました。
そんな長い夜を過ごしたのを、書きとめておかないと、私の今後に生きないかなって。

このぺしゃんこの箱は、次男へのお土産。シャチホコ、悲惨なことになってますが、これは闘いの痕跡ということで。