ずっと以前に「下甑島に平田清という医師がいました」という記事を書いたときに、サトーさまという方からコメントを頂いていたのですが、当時、私は携帯から記事をUPしていて、コメントに気づいたのがたいそう遅く、とても失礼なことになってしまいました。
お詫びの言葉と一緒にお礼のコメントをお返ししたのですが、そのままで…あぁご立腹されたのかなぁと思っていたら!なんと!今日、お返事を頂くことができました。
サトーさまも私のコメントを見落とされていたとのこと、ほっとしました。
何年か分の宿題が終わったような気持ちです。
ドクターコトーの舞台となった甑島、でも甑島は無医村ではなくて、私の父方の伯父、平田清が40年以上下甑島で医師をしていて、観光名所ともなっている「蜃気楼の碑」も伯父が読んだ歌のもの。なのになかったことになってるような印象なのがとてもいや、というようなことを書きました。
サトーさまは記者として伯父を取材していてくださったとのこと。
覚えていてくださる方が身内以外に、お1人でもいらしてくださったことがとても嬉しいことでした。
伯父のちょび髭をちょっと思い出し、あ、そういえば、いま1型糖尿病で診て頂いているS先生にもちょび髭があるなぁと、少し可笑しくなりました。
今日はそのS先生からいただいた新しいミッションい再挑戦。
日々、元気で生きていくのはとっても大変よね、と改めて。
※サトーさまからお返事いただきました。
記者さんではなくアートデレクターさんだったとのこと。
伯父はおおがかりな取材を受けていたのですね…
お詫びの言葉と一緒にお礼のコメントをお返ししたのですが、そのままで…あぁご立腹されたのかなぁと思っていたら!なんと!今日、お返事を頂くことができました。
サトーさまも私のコメントを見落とされていたとのこと、ほっとしました。
何年か分の宿題が終わったような気持ちです。
ドクターコトーの舞台となった甑島、でも甑島は無医村ではなくて、私の父方の伯父、平田清が40年以上下甑島で医師をしていて、観光名所ともなっている「蜃気楼の碑」も伯父が読んだ歌のもの。なのになかったことになってるような印象なのがとてもいや、というようなことを書きました。
サトーさまは記者として伯父を取材していてくださったとのこと。
覚えていてくださる方が身内以外に、お1人でもいらしてくださったことがとても嬉しいことでした。
伯父のちょび髭をちょっと思い出し、あ、そういえば、いま1型糖尿病で診て頂いているS先生にもちょび髭があるなぁと、少し可笑しくなりました。
今日はそのS先生からいただいた新しいミッションい再挑戦。
日々、元気で生きていくのはとっても大変よね、と改めて。
※サトーさまからお返事いただきました。
記者さんではなくアートデレクターさんだったとのこと。
伯父はおおがかりな取材を受けていたのですね…
ありがとうございます。私もすごくスッキリしました!
取材と伺ったのでてっきり記者さんとばかりおもっていました。
失礼しました。
3人がかりの取材だったらどんなに素敵な記事だったのことか、みてみたくなりました。
伯父の記事といえば読売新聞社第一回(だったかと)僻地医療大賞を受賞したときのものがとても印象に残っています。あの古ぼけた診療所での写真。
あの診療所で、看護婦で伯父のお世話をしていたトミエさんが、阿吽の呼吸でいろいろと支えておられたのを拝見した10代の頃の鮮烈な印象は忘れません。
豪快な人で「暑い暑い」といいながらスッポンッポンでお風呂上りに闊歩されていてトミエさんが「ほらほら…」と下着を持って追いかけていました。
新築なった我が家に泊まりにいらした時も奥様とトミエさんと一緒で母は面食らっていました。
愛のカタチはいろいろあるのね、と学ばせてもらいました。
あのあと、伯父は紅葉の日光にタクシーでかけ、いろは坂の渋滞に巻き込まれヘトヘトになって戻ってきて、帰島後まもなくして亡くなったように覚えています。足が弱くなったので全行程タクシーだったのが、いまでいうところのエコノミー症候群のきっかけになったのかもしれません。
戦前からの、物資も、通信手段も限られた中での僻地医療の大変さが、どこかに語り残されていればいいなと願っています。
私は野鳥関連の仕事をしているので、甑島にいつか鳥を観にいってみたいと思っています。
嬉しいご縁をありがとうございました。