長男から生存確認の電話があったので、
「土曜の暑さ、日曜日の雪で微妙な肺だから、今日か明日点滴打ちに行こうと思ってるの」というと、僕、家にいるから車で送迎してあげるとのこと。
もちろん、甘えてしましました。
車の中で、ひさしぶりの、ゆっくりおしゃべり。
「Aくん(次男)からの電話に、もしもしって出たら、
『わぁ、おばあちゃんそっくり、よかったね、ちゃんとおばあさんになれて』
っていわれたの。
おばあさんの年まで生きられるって思わなかったんだって。
貴方たちに申し訳ないことしたなぁって、思ったんだ」
と、長男に話すと
「ほんとにね、そうだよ」
としみじみいわれてしまった。
今から25年前の5月、血中酸素が68%とかのなぜ生きていられたんでしょうという…
臨死体験や幽体離脱までして生死の境目をさまよった激しい喘息発作の時、
彼らは彼らなりに、いろんな覚悟を決めてくれていたのだなぁと、改めて思い知りました。
その覚悟を持って、幼い時から、ずっと過ごして来てくれての今があるので、
いろいろと気にかけてくれるのだなぁと、ウルッとなりました。
本当にありがたいこと。
ということで、彼らにとっては、心配する順番は、私→母→高司と自ずとなる様子。
電話切る時に
「あ、ところでお父さんは生きてる?」
となるのはそういう理由から。
高司先生には強く生きてもらいましょう。