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facebookで、北海道の大切なおともだち、Y子さんからブックカヴァーチャレンジのバトンを頂きました。
気高い信仰に生きるY子さんからは、いつも優しく愛ある言葉で力を頂いています。

Y子さんからのリクエストなので即答で「もちろん!」とお応えしましたが…
実は私自身のブックカバーチャレンジは、先日7冊すでにご紹介済みです。

今回は、谷口と私の記念碑的な本と、それぞれの想いなどを含めてご紹介できればと思っています。

【チーム谷口のブックカバーチャレンジ☆前夜祭 】

日本野鳥の会編「山野の鳥」「水辺の鳥」

☆バトン疲れという言葉が世にでているとか。
コロナ緊急事態宣言も解除された今、やれる範囲で前をみる時かとも思っています。
なので、このバトンは、山口百恵さんの引退コンサートのマイクのように静かに置いて、おしまいにしたいと思います。

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いま谷口の著作は廃版になったものも含めて47を数えます。
気づけばこれだけの数になっていました、というと「え〜!?」と思われそうですね。でも実感がないのが正直なところです。

実際、結婚後20年以上は、谷口は家業の「谷口調髪所」を、日本野鳥の会発祥の地・杉並区善福寺で営みながらの活動でした。
私自身も子育てや、PTA・ボーイスカウトなどの地域での活動、舅・姑・父の介護などで、毎日駆けずり回りながら、打ち合わせや原稿を届けるサポートをしていました。

恵まれたことに、お仕事させてください、とお願いをすることなく、今日まで来られたことがまず、とても幸せなことでした。
2足のわらじを履いていたので、本当にやりたいお仕事だけをさせて頂いたのも、ありがたかったです。
絵が荒れることがなかったことが、今の谷口に繋がっているのではと思っています。

頂いたお仕事を、誠心誠意、締め切りを守ることだけを考えて、理解ある出版社や編集者の方々と、日々を重ねてきた結果が、この冊数になったのでした。

図鑑という地味すぎるフィールドでの出版がメインですので、「夢は印税生活」という冗談もいえない状況ではありますが、谷口の描いた本ならば…と求めてくださる方がおられるかぎり、谷口の経験値を活かした本を出し続けていけたらと願っています。

さて、今回、なぜ、前夜祭にしたかというと。

結婚前の著作物は「バードウオッチング〜野鳥と出会うために〜」と、この「山野の鳥」「水辺の鳥」の3冊だったことからです。

谷口と一番最初に逢った1983年夏の小櫃川河口の探鳥会で、リーダーが
「こないだ発売されたばかりの、山野の鳥、水辺の鳥を描いた谷口高司さんです!」
と紹介した先にいたのが、超くたびれたおじさんでした。

『夏休みのこの時期、女房子どもを置いて自分だけ鳥観ているんだ、変な人』
が私の第一印象。谷口は
『なんだ、この男の子みたいな女の子みたいな変な生き物は?』

史上サイテーの出逢い、あの夏の暑い暑い日差しを、忘れることはできません。

私の前職は日本中央競馬会の職員だったので、お尻を叩いて叩いて絵を描かせてきたのだろう、と思われた方、甘いです!それは…以下続く