女性自身1984夏
次男が夏休みの一日を使ってパソコン設置に来てくれた日。
35年前の、御巣鷹山の事故の話をしているタイミングで、なんとも古い雑誌が、出てきました。
ちょうど35年前の、御巣鷹山のあの事故で亡くなった方、生きて戻ってこられた方、残された方、いろんな記事が載っている雑誌です。
あの夏、長男妊娠中で、TVから流れる映像やニュースに、生きること、亡くなること、生まれること、産むこと、いろんなことを考えました。
今でも胸が苦しくなるほど、暑い暑い夏でした。

でも、なぜ、こんな古い雑誌を丸々とってあったのだろう?
我が家は基本、谷口の記事は切り抜き、もしくは当該ページだけ、私の新聞投稿も切り抜きだけしかとっていないのに。
と、パラパラとみてみると。
小学館肝いりの、育児雑誌「Pand」の広告が出てきました。

Pand

紀尾井町の毎日スイミングスクールでマタニティスイミングに通っていた頃、新しい育児雑誌がでるので、妊婦さんの写真が欲しいということで、取材?オーディション?を受け、後日来てくださいと、いつものプールの時間ではないときに行って、写真を撮ったものです。

「パパにはおっぱいないけれど〜」
車内広告とか、TVCMとかバンバン流れていて、前の職場の方たちも大騒ぎになったとあとで聞きました。

私としては、当時はマタニティフォトなる、しゃれた習慣がなかったので、ちょうどよい記念と思って、この企画に参加した記憶が、あります。
おなかの中の子に、このころのことを話すのなら、と雑誌丸ごととっておいたほうがいいな、ととっておいたのですね。
すっかり忘れていました。

長男は、生まれたあとも取材を受けたりしたのを後々話しをしていたので、もしかしたら覚えているかもですが。
生まれる前の次男的には、かなりセンセーショナルだったようで、結構真剣にいろいろとみていました。

私の通っていた学校では
「電車の中で女性週刊誌をみるような大人にはならないでほしい」
と、乙女たちに対し、高い理想を掲げている先生もおられました。
確かにゴシップだったり、嘘かほんとかもわからないことばかりの雑誌を、公の場所で真剣に読むのは恥ずかしいかも、と私自身も読まずに来たのですが。
でも、今日、思いがけなく、パラパラとめくった女性誌は、当時の世相や、取材方法など、なかなか興味深いものがありました。

そして、35年前の夏、いろいろ考えて、でも結局「強く生きていこう」と思ったことを、思い出すことができました。
35年の間に、いろいろなことがあったけれど。
今年の夏こそ、ある意味「強く生きないと」という年はなかったかもしれません。

また数十年後、コロナ禍のこの夏を思い出すことができますように。

新しい、我家5台目のパソコンで初めて書いたブログ、光陰矢の如し、烏兎怱怱の思いを胸に、綴ってみました。